ブルースリー哲学

自立した探求心の必要性【ブルース・リー 名言・哲学】

偉大なマーシャルアーティストであり素晴らしい哲学者でもあったブルース・リー。
心に響くメッセージを独自の感想も踏まえて紹介して行きたいと思います。

人は多くのシーンで”学ぶ機会”に遭遇します。
その道の先導者から知識や技術を学べること、
そのこと自体はとても素晴らしいことです。

但し、自身で考えようとせず
他人のやり方や流儀に合わせようとしすぎる事に対しては
同時に”ある危険性”をも孕んでます。。

自立した探求心の必要性

一つの例として、ある動作を習得するとしましょう。
腕を上げる、脚を動かすなど、
おおよそ誰にでも共通する簡単な動作の中に
その人自身が見出した感覚や意識の持ち方が
あったとします。

その様なテクニックを指導され、
言われた通りに実践してみたとして
それが本人にとって最適な方法であるとは言い切れないでしょう。。

この点に関して、リーはこの様なメッセージを残してます。

『真実は本の中で見出される様なものではない。
むしろ、そういった本は真実の探求の進展を妨げるだけである。
真実を探求するのために必要なのは自立した探求心であって、他人の観点や本などに頼る事ではない。』
〜「ブルース・リーが語る ストライキング・ソーツ」ジョン・リトル(編)より〜

己の真実から遠ざかる。

誰かから学んだ”手段・方法”は、
その人が身につけた”やり方”であり、
本人の”やり方”ではありません。

そのことに気付かず、
ただ言われた通りに動くだけでは
本人の”真実”からドンドンかけ離れて行ってしまいます。

ブルース・リーは、
『何かに対する答えを自分が知っていたとしても、
他の誰かにとって使えるものにはならない…』
という事を信じて疑わなかったそうです。

つまり、その人が懸命に見出した方法論は、
その人にとっての”真実”であり
いかなる答えを与えたとしても、
それは他の誰かにとって何の意味も持たない。

なぜなら、そこにはあなた自身の”真実”が存在しないからです。

人それぞれに真実が異なる。

人それぞれに背丈や腕や脚の長さの違い、
まだ段階的に感性・感覚が発達してなかったり、、たくさんの違いがあります。
それが”個性”とも呼ばれたりもします。

人の数だけ、また真実も異なります。

他の誰かの流儀に合わせようとするがあまり、
本人の”真実”を見失い、
同時に個性や可能性を失う危険性をも孕んでる。。

その人にとっての真実を見出す為に、
あらゆる物事に対して常に自分の力で考え、問いかけ、探求し判断して行く事の大切さ、
その事をリーは教えてくれています。